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地方在住、非正規図書館勤務、正規の司書を目指しています! ラジオと小説・漫画、音楽など好きなことに囲まれた日常について書きます。

地方の出版社をやめた話

 2016年9月30日で1年半勤めた会社を辞めた。
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 2015年3月下旬からその会社に入った。新卒だった。条件としては3ヶ月間試用期間のアルバイトとして勤務、その後双方合意の上正社員登用。どうすれば正社員になれますか(=ノルマ)を訊いたが、具体的な数字等は提示されず相性とか色々を見てとのこと。給料は求人票によると22〜60万、賞与年2回●ヶ月分(結局1度ももらえなかったので覚えていない)。試用期間中は福利厚生なしで時給850円だった。ちなみに雇用契約書はなかった。
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 地元のフリーペーパー発行がメインの会社で、仕事は広告営業と編集業務。社員は5人、社長、編集長兼営業部長で社長の恋人である40がらみの女A、入社6年目の30代半ばのB(男)、3年目の30代初めのC(男)、20後半のD(女)だった。Dは3月いっぱいで退職した。
 発行しているフリーペーパーは全て基本的に月末が校了で、入社した3月は発行媒体が4誌重なる非常に悪いタイミングで、バタバタして誰も構ってくれない。それどころかみんなイライラしている。それでも新社会人として使命感にかられ「何か手伝えることはありませんか」と聞いて回った。もっとも仕事を抱えている編集長兼営業部長のAから、美術館のプレスリリースの返信をFAXするよう言付かった。美術館からのプレスリリースは展示の招待券を読者プレゼントとして掲載する内容のもので、返信用紙に会社名や媒体名を記入していたが、掲載誌の発行部数がわからないので記入できない。発行部数はと聞くと「甘えないで!」と怒鳴られた。ほとんど何もできずに定時が来て「色々とすみませんでした」と言って帰宅した。
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 フリーペーパーは基本的に広告ページが占める。自分で営業して契約を取った広告は、自分で画像やテキストなどの素材を揃えラフを描いた上で、外部のデザイナーに発注するという仕事の流れ。売り上げと仕事量は比例し、A>B≒Cの順番で多い。Aは広告の売り上げも社内でトップで、広告ではない編集ページ(掲載料無料の記事)も合わせて毎月100ページほどを製作していた。他出版社やフリーライターの経験もありそのクオリティも高く、また広告代理店勤務経験もあり営業力もかなり高い。Bは営業も制作も黙々と仕事をこなすタイプで、営業は平均以上、制作は平均程度の実力。Cは営業しかできず、キャパが狭く常に文句を言いながら仕事をしていた。電話を中心に時には飛び込みで毎日営業したが、いつまで経っても広告の契約が取れないので、5月に発行を控えた子育て世代向け媒体の記事ページの制作を社長とCから任され、先方の校正になんども付き合わされ大変だったが楽しかった。これ以降、Cが編集ページや広告の制作の仕事、また雑用などを丸投げしてくるようになった。
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 試用期間の3ヶ月が過ぎた6月、正社員になれなかった。社長から何か通達があったわけではないのだが、たまたま帰り道が一緒になった時に、そろそろ正社員になれませんかと訊いてみたのだが、最低でも月平均30万は売り上げないとと言われた。結局正社員になれたのはそれからさらに3ヶ月後の9月だった。
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 広告の契約が取れない私は営業活動をしながら雑務を任されるようになった。撮影の立会い、Aのクライアントの広告の校正代行、BとCの原稿の作成、他にもお金にならない編集ページは「あいつにやらせろ」と社長の命令で担当することになった。「●●(私)にやらせろ」は度々聞かれ、非常にやる気を削がれる言葉で嫌いだった。
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 Aは素人から見ても営業も編集も実力が高いことがわかり勉強になることも多々あった。同時にああいう風にはなりたくないと反面教師に見ることも多かった。小規模の会社で自転車操業だったため毎月の売り上げに生活がかかっている。「ゴミでも売りつけるのが営業だ」「ゼニが儲かればそれでいい」とAはよく言っていた。
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 Cは前職も営業だったようで、営業しかやりたくないと言った感じ。体育会系で、大学時代に怪我が原因でサッカーを諦めたらしく「怪我がなければ今頃…」などと夢見ていることからも察するに相当の自信家。他人に厳しく自分に甘い、自己評価が高すぎる。Cが契約してきたクライアントの広告の製作が丸投げされることが多々あり、またCが担当する編集ページの制作は100%丸投げされ、広告特集と合わせた記事も多かったのだが、クライアントの意向をCが十分に把握しないまま製作だけ押し付けられるため不安だった。不安なまま製作し提出すると案の定やり直しということも多く、効率の悪い仕事だったと思う。ここはどうすればいいですか、どうしたほうがいいですかと訊いても、知らないとしか答えてくれなかった。
 Aからも編集ページの制作を任されることが多かったが、無責任なCと違い、どこをどう直せば良くなるとかの具体的なアドバイスをくれるので、こちらも勉強になった。ある時お花見名所40箇所を掲載する8ページの特集をAから任され、連日残業して進めていた。ある時たまたま私とCだけが残業していた。Cは「何の仕事やってるの?」と話しかけてきた。私はCとは「合わない」と思っていたので極力話さないようにしていたので、その時も最低限の言葉数で「来月発行の●●に掲載する桜の特集ページを作っています」と淡々と答えた。Cはしつこく何ページ?とか大変?とか話しかけてくるので適当に答えていた。話がひと段落したところでいつのまにか帰り支度を終えたCは、ふーっと一息つくと、「かわいそ」と囁き、お疲れーと帰っていった。
 Cにはまた別の時に、今月の売り上げいくら?と聞かれ「5万です」と申し訳なく答えるとため息をつかれる、ということがあった。きっと、営業もろくにできない私に呆れ下げずみ、記事しか作ることができない私を憐れみたっぷりに嘲笑していたのだと思う。
 Cは、他の人に頼めばいいようなことを私に全て雑務として押し付けるから苦手だった。出先から必ず携帯に電話してきて「今会社?」と聞いてくる。はいと答えてもいいえと答えても、「会社から戻ったらこれやっといて」という。
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 正社員になってわかったのだが、求人票に書かれていることはほとんど嘘だった。「給与22〜60万」は実際17万(手取り14万)、賞与なし(「年俸制になった」と言われた)、残業ゼロは嘘で定時で帰れることはなく、休日出勤もザラで代休も有給も取れなかった。他にも、通信費支給(名刺に個人の携帯番号が書かれている)とあったが「やめた」という社長の気まぐれでもらえなかったし、求人票の煽り文句「業績うなぎのぼり」まで嘘じゃないか!と思い笑った。
 それでも地方誌とはいえ憧れていた出版の仕事なので努力していたが、やめようと決意した出来事がある。
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 年に一回発行している子育て支援のフリーペーパーは、小学校の入学説明会で100%配布するという触れ込みだった。電話営業でもまず最初に「入学説明会で100%配布している媒体です」と説明するよう社長にも言われていたため、その通りに営業すると子供向けスクールの契約がいくつか取れた。そんな媒体はこれまでなかったし、小学校という公共の場で宣伝する手段はないためどのクライアントも快く契約してくれた。入社2年目に再度その媒体の営業活動を開始し、まずは掲載実績のあるクライアントに今年もどうですかと営業していくことに。電話をかけてみるとどうだろう。どのクライアントも怒り心頭で「どの生徒の保護者も、御社の情報誌をもらっていない」というのだ。中には「詐欺だ」とか「広告料を返せ」というスポンサーもいて、急いで社長に確認する。金を返せというクライアントに説明しなければと思ったのだ。しかし社長は「知らない」「ほっとけ」と逃げるばかりで、一体どうなっているのか自分でも状況がつかめない。Cに聞くと実態が見えてきた。小学校の入学説明会の中で行われる学童の説明会で配っているのが実情だそうだ。というのも学童の連盟のような組織とつながりがあり、そのインフラを活用しているらしい。それを誇張して「入学説明会で100%配布」とうたっていたのだ。
 「広告屋は嘘つきの始まり」と社長は口癖のように言っていた。確かに自社フリーペーパーの発行部数はいくらなんでも公称部数とかけ離れすぎていたし(予算がないので印刷代がかけられない)、読者からの反響がない広告をさも反響があったように新規営業を続けなければならなかった。でもそれは営業の仕事で会社のために仕方なくついていた嘘だと思っていた。なるべく事実とかけ離れすぎないように、自分なりに良識のある範囲で営業を行ってきたつもりだった。客から詐欺師と言われ、反響のない広告を作り、手取り14万の安月給を得る。一体誰のために仕事をしているんだろうと本気で悩んだ。
 やめたいと言った時、社長は私を止めなかった。Aは自らも新卒の会社を1年でやめた経験を話してくれ、考え直して見てはと言った。私に仕事を丸投げしていたCに呼び出され、困るからアルバイトでも残ってと言われたが全く嬉しくなかった。Bは相談してくれればよかったのにと言った。
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 最後の勤務が終わると、Bとご飯に行った。Bは色々な話をしてくれた。いつでも戻ってきてくれたらありがたいとか、Bのこれまでの経験なども聞いた。BもCもいずれはこの会社を去るつもりだという。30代で営業をしていると他社からの引き合いがあるとのこと。今の会社で働き続けるのは、いわゆるブラック企業である程度仕事をこなしたという実績を作るためと、後少し社長に恩があるからだと言っていた。「僕も、社長のことは好きじゃないけど嫌いじゃないって思います」というと、そのニュアンスわかる!とBも社長が嫌いなわけではないらしい。
 社長とAは50近い年齢であと十年もすればいなくなってしまうだろう。そしてきっと、社長は会社の規模を大きくするつもりもない。いつかやめる予定のBやCと一緒に働いていこうとは、私は全く思えなかった。少し社長が可哀想に思えた。
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 今考えると自分も甘かったなと思うこともたくさんあるし、あれはどう考えてもあいつが悪い!と思うこともある。弱小企業も言い方を変えれば少数精鋭で、自分たちの力で会社を運営していくことでしか得られない達成感がある。あの会社でしか見られない景色がきっとあると思う。

 それでも今はもう、その仕事に未練は全くない。

 今は無職になってしまったけれど、前向きに、自分にもできる仕事を探していこうと思う。