読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

coquille

25歳、男、地方在住。

流れに抗うための「大きさ」−THE ALFEEの歌詞とコンサートに関する考察−

 「THE ALFEE」(以下:アルフィー)ほど、よくわからないバンドはないと思う。なぜ人気があるのか、大きなヒット曲があるわけでもなく、なぜ40年以上も一定の支持を得ながら活動が続いているのか、バラバラの三人が織りなす音楽性の不可解さなどの疑問を、必ずしも音楽的に評価されているとは言い切れない状況からひしひしと感じる。なんとなく、アルフィーってダサい、そんな雰囲気が蔓延していることは、ファンもみんな知っている。

 私は小学生の頃から約10年以上アルフィーのファンである。ドラマの主題歌だった「太陽は沈まない」(2002年)を聴いてアルフィーに興味を持った。でも実は、その魅力の本質についてうまく解明できないでいる。ここでは、「アルフィーはこんなに素晴らしい!」ということを布教したいのではなく、あくまでアルフィーというバンドが一体何をして、そしてどこを目指すのかということを、歌詞とコンサートの関係性から自分なりに考察したいと思う。

 

 *

 

 その前にアルフィーについての大まかな説明。

 明治学院大学で出会った三人によるバンド。明治学院高校時代より桜井賢がヴォーガルをつとめていたフォークグループ「コンフィデンス」を母体とし、S&Gなどのコピーバンドとしてコンテストなどにも出場。この時期に隅田川高校から一人でコンテストに出場していた坂崎幸之助は、桜井と出会い、コンフィデンスに加入、そのまま桜井と同じ明治学院大学に進学する。桜井と同じ明治学院高校に在学していた高見沢俊彦は、桜井たちとは対称的に、レッドツェッペリンなどをコピーするロックバンドを組んでおり、明治学院大学入学後に坂崎と出会い、ビートルズなどの話で意気投合し、それがきっかけとなりコンフィデンスに加入した。

 1974825日、Alfieとして「夏しぐれ」(作詞:松本隆、作曲:筒美京平)でビクター音楽産業よりデビュー。所属事務所は田辺エージェンシーであり、本人たちの意思とは裏腹にアイドル路線でのデビューだった。デビュー曲に続く「青春の記憶」も鳴かず飛ばず、一九七五年に三度目の正直として臨んだ「府中捕物控」は、「三億円事件」を題材としたコミックソングだったが、ビクターの一方的な意向により発売中止になったのをきっかけに、アルフィー側から契約を解除する。事務所の先輩である研ナオコかまやつひろしなどのバックバンドや、地道なライブ活動を続け、1979年にAlfeeと表記を改め、キャニオンレコードから「ラブレター」で再デビュー。その後もコンサートと楽曲制作を精力的に続け、1983年、初めてとなる武道館公演を開催し、満員となる。武道館公演前から発売していた「メリーアン」は、武道館公演の成功を機に注目され、ロングヒットとなった。その後も「星空のディスタンス」「恋人たちのペイヴメント」「シンデレラは眠れない」などコンスタントにヒット曲を発表し、ライブ活動も継続している。

 

 *

 

 2年くらい前に、マキタスポーツという人がラジオ番組でアルフィーについて話していて興味深かった。なぜなら、人々がアルフィーという謎の集団に対し共通認識的に感じる「なぜ」という疑問を声高に投げかけていたからである。「ピラニア軍団」(桜井)、「おばさん」(坂崎)、「ヅカファン」(高見沢)と言っていたのには爆笑したが、一体この統一感のないグループは何なんだ、というようなことも言っていた。

 音楽性についても触れ、中でも歌詞についての考察が面白かった。以下引用。

 

 *

 

マキタスポーツ「(「英雄の詩」の歌詞を読み)っていうような詞を歌ってるんですけど、これ、あのー、あえて言いますけど、もし新人バンドがこういう表現の詞を書いた場合、『君あんまりこういうの、有り体すぎてダメだと思います』って多分言われてしまう」

ダイノジ大谷「オーディションにも、ちょっと落ちちゃうレベルかもしれないですね」

マキタ「だから、こういうことを歌っても説得力があるってことが謎なんですよ」

大谷「あー」

マキタ「だけど僕ね、またわかりづらい例えになると思いますけど、プロレスで例えたいんですけど、アメリカンプロレスでね、昔にリックフレアーっていうすごい大活躍したプロレスラーがいたんですけど、非常にリアクションが大きかったりする。でね、見栄えのする大きい技の受け方とか、技を仕掛ける時がすごく大きい。で、そういうのはスタジアム級のところでやっても見栄えのあるプロレスをやっていた。だから、ちまちまとした詞の世界ではなくて、やっぱりこういう

大谷「よりそういう風になってきたんでしょうね」

マキタ「そうなんです。磨いて月並みな表現に落とし込んでいくことによって、遠くからでもロックに見えるようなものを考えている」

 

 *

 

 引用終わり。

 この歌詞に関する考察には、目からウロコが落ちる思いだった。確かに高見沢が全てを手がけるアルフィーの歌詞は、ファンの贔屓目で見ても「薄っぺらい」と思う。その例として2012年に発売されたシングル「生きよう」の歌詞を引用する。

 

  Stay その場所で今君は何を思う

  悩み苦しみ歩む道を探してる

 

  Stay そのまま 一から始めてみよう

  必ず夜は明ける今を生きていればこそ

 

  あきらめない自分があれば

  希望の光は見えるよ

 

  どんなに悲しい事も

  どんなにつらい思い出も

  負けないと思う強さで

  時の力を信じて

  生きよう

  (略)

 

 読んでいて、意味がわからない。実はこの楽曲は、2011年の東日本大震災に際して制作されたもので、その年のツアーで復興のために歌われていた。私はアルフィーファンであるし、ましてや直接被災したわけでもない(当時は東京にいた)のだが、多分だけれども、きっと震災復興のために作られた歌でもっといい曲がいっぱいあると思ってしまう。本当に辛くて音楽に癒しを求めるなら別の曲を聴いてくださいと言いたくなるくらい、歌詞は浅く薄く、ただ肌触りだけが良い。

 しかし、これらの陳腐な歌詞は、アルフィーが活動のメインとするコンサート会場だと違った文脈で聞こえてくる。

 この陳腐な歌詞の「生きよう」が、2014年にさいたまスーパーアリーナで開催された夏のイベント「40年目の夏」二日目のオーラスで演奏された。

 

「正直40年経って思う事、様々な事があるけれど、やっぱり俺たちは今も昔もこれからもずっと、ライブバンドであるという事、昨日今日でそれを揺るぎない事実だと感じました。なんでそんなにコンサートをやるんだとよく聞かれますが、数を稼ぐためにやってるわけではない。確かに2400本以上やってきたけど、なんでかというと、あの始まる前のなんとも言えない緊張感と、終わった後の言葉にできない達成感、これを感じたくてコンサートをやるんだと思います。もしコンサートをやらなくなってしまったら、俺たちは俺たちで無くなってしまうかもしれない」

「だからアルフィーはまだまだこれから! (中略)俺たちの生きる様を見つめ続けて欲しいと思います。どんな未来になるかわかりませんが、これからも人生かけて立ち向かっていこうと思います。これからの10年に向かって

 

 という高見沢のMCから、「生きよう」が演奏された。夏のイベントでは昔からの定番曲で締めることが多いため、意外な選曲にどよめきが起こった事も記憶に深い。そんなことよりも、そのコンサートで、40周年を迎えたアルフィーのきっと最後の挑戦となるこれからの10年に向かって、この「生きよう」が演奏されたことが何よりも印象的だった。

 この瞬間、「生きよう」は薄い歌詞の復興ソングから、アルフィーのこれからの10年に向けた覚悟として生命力を誓う楽曲に、その文脈を拡げた。オーラスに定番を外した新し目の曲を演奏するという挑戦的な姿勢も力強かった。

 

 *

 

 アルフィーのコンサートは、アルフィーの楽曲が最も輝く場である。ファンはみんな、アルフィーのことをよく知り、感情移入ができ、時にはアルフィーを思い、時には自分自身を思い、アルフィーの楽曲に感動する。アルフィーの歌詞は、ファンによる幅広い感情移入に耐えうるものである。先ほど引用したマキタのいう「大きい」歌詞には、このような余白も高見沢は計算しているのかもしれない。40年という歳月をかけて、最初は作曲経験のなかった高見沢が編み出した、アルフィーのための技法であろう。

 

 *

 

 まとめに入る。アルフィー40年以上をかけて、2600本以上ものコンサート本数を積み上げた。重要なのはその数ではなく、質。

 アルフィーの楽曲が最も共有され輝く場はコンサートであることは前述の通りである。初の野外コンサート「悲しみをぶっとばせ」のために「夢よ急げ」や「A.D.1999」が、また10万人コンサート「TOKYO BAY-AREA」のために「SWEAT & TEARS」「ROCKDOM-風に吹かれて-」が制作されたことからもわかるように、「コンサートに耐えうる楽曲制作」が行われてきたことは高見沢が明言している。

 アルフィーファンは、ファン歴が長い事も特徴的(ファン歴40年以上もざら!)である。なん年前のあのコンサートは、あの曲を聴いて、あんな風に感動した、また、別の日には同じ曲を聴いても違うことを考え感じ、また違うコンサートではというように、楽曲に対するファンの思いがどんどん「大きく」なっていくのがコンサートという場である。そのコンサートが40年、2600本と積もった現在では、それぞれのファンの思い入れも巨大なものだ。その巨大なものこそ、アルフィーが地道に積み上げてきた「大きさ」であり、活動を続ける理由そのものなのである。

 アルフィー1974年のデビュー以来、コツコツとコンサートを積み上げることで、この「大きさ」を巨大にする作業を繰り返してきた。そのためにはヒット曲が必要だったし、それに伴ってコンサートの規模も大きくしていった。しかしコンサート規模やレコードの売り上げ枚数などの規模としての「大きさ」は、いつかハジけて終わりが来ることも、不遇の時代が長かったアルフィーは冷静に考えていた。1986年に開催した「TOKYO BAY-AREA」(通称10万人コンサート)で、規模・量としての「大きさ」を自ら終わらせ、ひたすら質としての「大きさ」を目指すべく、舵を切った。

 時代の流れに逆らうことは容易ではない。80年代終わりから90年代、そして2000年代と、新たな音楽ブームの波は幾度もあったが、アルフィーがその時代の波を泳ぎ切れたのは、この「大きさ」をコツコツと積み上げてきたからであろう。

 そして今、アルフィーが目指すものはというと、実はよく分からない。確かに言えることは、この「大きさ」によって、まだ世界中のどのバンドもなし得ていない生き様を見せてくれるはずだということ。彼らはきっと、まだまだ先を目指すであろう。