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coquille

25歳、男、地方在住。

n先生

   人生で最もお勉強したのは、小学校5〜6年にかけての中学受験でしょう。

   大手進学塾が肌に合わず成績が伸び悩み、小規模だけれど合格率の高いと高名な、家族経営みたいな進学塾に入った。きっと、小さくてもアットホームな雰囲気で、のびのびと学んでほしいという両親の願いもあったのだろう。

   その進学塾では、怒られたり、いじめを受けたり(幼い私が悪かったんです)、それでも優しい先生や同級生のお陰で第一志望に合格した。まさか私が合格するとは思ってもなかった先生たちは、私や親以上に喜んでくれたことも、いい思い出である。もちろん志望校に落ちてしまった同級生もいて、彼らが、意気消沈というか、人生おわったみたいに絶望している様子もマザマザと記憶に蘇る。受験戦争はいつだって残酷だ。でも、みんなはどう思っていたかは知らないが、嘘でもなんでもなく、私は自分の第一志望の試験日前、いつもより早めに塾から帰るときに、「ライバルと思うこともあったけど、みんなが受かればいい」と真剣に思ったものである。

    もうひとつ思い出深いことがあって、n先生のこと。

    n先生は非常勤の国語の講師で、雑貨屋やパン屋のアルバイトを掛け持ちする、いわゆるフリーターの、年齢不詳(たぶん30以上)の女性だった。

   n先生は他の先生と比べて何だか異質だった。試験監督中には俯いて寝ているし、授業では雑談が多い。でも本が好きで国語の先生になるのが夢だったようで、受験のための授業というよりは、好きで好きでしょうがない国語の話をしている感じだった。椎名誠岳物語がテキストで扱われれば、他のエッセイをコピーして来て読ませてくれたり、授業外の雑談で音楽の話をしたら上々颱風を教えてくれたり。志望校に合格したことを伝えたら、ご褒美にアルフィーのTOKYO BAY-AREAのパンフレットなどをくださったり! あと、お弁当を忘れたときに、バイト先のものであろうパンをくれたのも、優しさを感じて嬉しく思った。

    正直、他の先生からn先生に対して、もっと真面目に働いてください!というような雰囲気がなかったとは言い切れない。

    この前、久々にその塾に行き塾長に聞くと.n先生はまだいるとのこと。

    受験とは厳しく辛い、残酷な戦争だ。ひとは人生の中で、いつかそれに立ち向かうことを定められている。そのために、辛い勉強や厳しい塾がある。けれども、詰め込むだけでは味気なく、どこかに余裕があったほうが、よい精神で学問できるのではないか。n先生は、他の先生がいるからこそ成り立つ構造だが、その余裕の部分だったと懐かしく思う。そういう講師を抱えておけるあの塾の経営方針は素晴らしいと思うとともに、中学受験をあの塾で経験できたことを誇りに思う。